大判例

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大阪地方裁判所 昭和53年(人)1号 判決

請求者 甲野夏子

右代理人弁護士 七尾良治

同 吉野庄三

同 金子利夫

拘束者 甲野太郎

右代理人弁護士 岸憲治

同 眞鍋能久

同 津川広昭

被拘束者 甲野秋子

右代理人弁護士 坂本義典

主文

一  請求者の請求を棄却する。

二  被拘束者を拘束者に引渡す。

三  手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一当事者が求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

2  手続費用は拘束者の負担とする。

二  被拘束者

主文第一、三項と同旨。

《以下事実省略》

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求の理由第1項の事実、拘束者がM乳業株式会社に勤務していること、請求者が昭和五二年一月スナック「T」、同年九月「R」を開店したこと、その後両名の夫婦関係が険悪となるに至ったこと、そして、請求者と拘束者とが離婚届に署名捺印したこと、また、昭和五二年一〇月一六日請求の理由第2項(二)記載の内容の念書を取り交したこと、当時請求者ら家族は茨木市K丘×丁目×番××号の乙井春子(当時乙原姓)方に同居していたところ、拘束者が請求者に無断で被拘束者と一郎とを連れて同女方をあとにしたこと、そのため請求者が昭和五二年一二月五日離婚と子の引渡を求める調停の申立を大阪家庭裁判所になしたが、拘束者は両名を引渡さなかったこと、その後拘束者が同年一二月三一日二人の子供を連れて請求者の肩書住所地を訪れたこと、現在拘束者は被拘束者と大阪市東住吉区H町×××において暮していることならびに春子が肝臓病を患っていること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  本件拘束の経緯

《証拠省略》に前記当事者間に争いのない事実を総合すると、以下の事実が認められる。

1  請求者は、昭和二一年八月二七日生れで、大阪府立B高校を卒業後、拘束者と結婚し被拘束者の出産を前に会社を退職し、家事に専念していたが、昭和五二年一月からスナックを経営して現在に至っている。

拘束者は、昭和二〇年八月一五日生れで、同高校を卒業後、自衛隊に入隊し、その後M乳業株式会社に転じ、現在に至っている。

2(一)  請求者と拘束者は、高校時代に知り合い、昭和四四年結婚し、その後被拘束者、一郎の二子をもうけ、平穏な家庭生活を送っていたが、かねてから両名とも何らかの商売をしたいとの考えを有していたところ、昭和五〇年九月請求者が実母春子からまとまった金員を融通してもらえることになり、にわかにその話しが具体化することになった。ところで、請求者は友人にスナックを経営している者がいることや、それがもうかることなどからスナックをやりたいと主張し、これに対して拘束者はスナックをやることになれば子供の世話や家事がおろそかになるとしてこれに反対したが、請求者が譲らないため、家事や育児もきちんとやり、家庭を犠牲にしたりはしないことを条件に、しかも三年間に限ってスナックをやることを許すことにし、育児の面などでできるだけ自分も協力することにした。その後、請求者は同年一〇月から茨木市内のスナック「E」に、昭和五一年四月から大阪市北新地の同「O」にいずれもウエイトレスとして勤めてスナックの経営に必要な知識と経験を身に付けたうえ、同年一二月茨木市C町に適当な店舗が見つかったため、春子から借り入れた金五〇〇万円と二人で貯えた約一〇〇万円を資金として、昭和五二年一月スナック「T」を開店した。なお、その間の昭和五一年一一月、請求者ら家族は春子が購入した茨木市K丘×丁目×番××号の住居において同女と同居することとなった。

(二)  請求者は、「T」開店後しばらくは拘束者との当初の約束どおりスナックの経営と家庭を両立させていたが、同年四月ころから次第に帰宅時間が遅くなり、午前二時、三時になったり、時には朝帰りをすることもあったりしたため、朝起きるのが遅くなり、朝食の仕度や、当時幼稚園に通っていた被拘束者の見送りを怠るようになり、また、昼間も集金などと言って出かけたりすることが多くなったため、一郎の監護や炊事、洗濯などの家事を春子に任せるようになった。その結果、春子との間で対立が生じ、これをきっかけに拘束者が請求者に対して右のような生活態度を改めるよう注意するようになって、二人の間にけんかや口論が絶えなくなった。

そのような中で、当初から「T」店は無断転貸を理由にビル所有者から明渡を求められていたところ、話し合いが成立し、昭和五二年八月明渡すことになったため、拘束者はいつまでも前記のような状態を続けていくのは好ましくないと判断し、それを機会に請求者に対してスナックの経営をやめるよう強く主張したが、請求者はせっかく客もついたとして新たに店を開いてこれを続けるとして譲らず、再び借金をしたうえ、茨木市C町×番×号○○○ビル三階においてスナック「R」を開店した。しかして、右開店後請求者は一層スナックの経営に身を入れ、帰宅時間はますます遅くなり、家事や育児は春子に任せ切りにするようになったため、前にも増して請求者と拘束者との間にけんかや口論が絶えなくなり、夫婦関係は次第に険悪なものになっていった。

3  そこで拘束者は冷却期間を置くため一時別居することとし、昭和五二年一〇月一六日請求者との間で大要次のような念書を取り交した。

(1)  拘束者は同月三〇日限り別居し、そのための費用として請求者は同月一八日限り金一〇〇万円、同年一二月末日限り金二〇〇万円を支払う。

(2)  その間、子供は請求者が監護し、拘束者は養育費として毎月金二万円を請求者に支払う。

請求者は右約束に従い、同年一〇月一九日金一〇〇万円を拘束者に手渡し、また、拘束者の居住する文化住宅を見付けて契約し、家具を買入れて別居の準備を整えたが拘束者はそのまま請求者と同居していた。

また拘束者としては、当時離婚の意思はなかったけれども、半ば請求者の真意を探る目的で、また半ばは起るかも知れない将来の離婚に備える意味もあって、両名で、右念書と前後して(時期は確定できない。)離婚届をも作成したが、結局いずれからも提出されず、最終的には請求者が保管したままになっていた。

ところで拘束者は、同年一一月一五日、「T」、「R」の内装を請負った田中勇と請求者が町で一緒に買物をしているところを目撃し、二人の仲を怪しむようになっていたところ、同年一二月二日未明たまたま三人が食事を一緒にしていた時、拘束者の目の前で請求者と田中とが夫婦気取りの態度を示すなどしたため、帰宅後田中のことをめぐって請求者と拘束者とがつかみ合いのけんかとなり、請求者は肉切り包丁を持ち出して「殺してやる。」と言いながら拘束者に向って行き、春子も「殺すんやったら自分が代って殺してやる。」と言って加勢し、大げんかとなったため、翌朝拘束者はこのままでは子供達のためにもよくないと考え、請求者が寝ている間に二人の子供を遊びに行くふりをして連れ出し、そのまま大阪市東住吉区H町×××の父母の居住する家で共に暮すようになった。

その後、同月五日請求者から大阪家庭裁判所に対し離婚と子の引渡を求める調停の申立がなされ、そのための期日が開かれたが、拘束者は子供を引渡さなかった。しかしながら、その後同月三一日拘束者は一郎のオーバーを取りに行くため二人の子供を連れて請求者と春子の居住する肩書住所地(同年一二月中旬転居)に赴いたが、請求者らはそのころ拘束者が家に訪れるのを避けていたため、拘束者は外から電気を消して停電を装い、請求者が不審に思って玄関のドアを開けたところを中に入り、春子と話しをしていたところ、そのすきに請求者が子供二人を連れて一室にとじこもり、中から鍵をかけてしまったため、拘束者はしばらくしてそのドアに体当りをして部屋に入り、請求者が抱きかかえていた子供二人のうち被拘束者を奪取して実家に連れて帰った。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

三  ところで、意思能力のない幼児を監護することは、人身保護法、同規則にいう「拘束」にあたると解すべきところ、前記一の争いのない事実によれば、被拘束者は満六才の小学校一年の児童であって、社会通念上分別能力を具えているとはいえず、意思能力の無い者であるといわざるを得ないから、拘束者が被拘束者を監護することは同法、同規則にいう「拘束」にあたるというべきである。そして、本件のように、夫婦の一方が他方に対し、人身保護法に基づいて、共同親権に服する幼児の引渡を請求する場合には、夫婦のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかを主眼として子に対する拘束状態の当不当を定め、その請求の許否を決すべきである(最高裁判所昭和四三年七月四日判決、民集第二二巻第七号一四四一頁参照)。

そこでこれを本件についてみると、《証拠省略》並に前記一の当事者間に争いのない事実によれば以下の事実が認められる。

1  拘束者が現在被拘束者と共に居住している家屋は、二階建長屋のうちの一戸であり、二階は四畳半、六畳、一階は三畳二間、四畳半、台所で、拘束者と被拘束者は二階に、拘束者の父甲野太吉(五九歳)、母同みき子(五八歳)は一階に起居している。拘束者は会社で営業部門を担当しており、休日の土曜、日曜を除き毎朝午前八時に出社し、夕方は時に遅くなることもあるが大体は午後六時ないし七時には帰宅し、休日や会社から帰った後は太吉やみき子と共に被拘束者の監護にあたっている。拘束者が出勤している間は専ら太吉、みき子が被拘束者の監護にあたっている。両名とも未だ元気で、ともに拘束者を助けて被拘束者を今後とも立派に養育していきたいと誓っている。

拘束者は毎月手取り約一六万円の給料をもらっているほか、ボーナスとして年間約九〇万円ないし一〇〇万円の収入があり、太吉は自宅で電話の売買業を営んでおり、毎月約二二、三万円の収入があり、ともに生活上の不安は無い。

拘束者らの居住家屋周辺は、大阪周辺部の典型的な庶民住宅街であるが、付近には児童公園もあり、付近の道路の交通量も特に多いとはいえない。

2  被拘束者は、本件拘束後も健康で、祖父母にあたる太吉やみき子にもなつき、近所には同年令の遊び友達もできて、屈託のない日常生活を送っている。また、昭和五三年四月から大阪市立S小学校に入学し、クラスの友達とも親しくなり、楽しく学校生活を送っている。

3  請求者は、昭和五二年一二月中旬以降国鉄茨木駅前繁華街のすぐ近くにあるマンションの一室(四DK)に一郎、春子と共に居住しており、被拘束者と一郎のために窓側の一室を子供部屋にあて、二段ベッド、勉強机などを備え、またピアノを置いて、被拘束者が帰るのを待っている。請求者のスナック「R」からの売上げは毎月約二五〇万円くらいあり、請求者はその中から一部を借金等の返済にあてたうえ、生活費として三〇万円、預金として二〇ないし三〇万円をあてており、経済的には一応不安は無い。同店の営業時間は午後六時から午前零時までであるが、日曜、祭日は休業日で、請求者はこれらの休業日を除き遅くとも午後七時三〇分ころには家を出、午前一時過ぎに帰宅するという毎日を送っている。

ところで、請求者が家を留守にする間は春子が被拘束者らの監護にあたることになるが、春子はこれまでも時々病床に伏したり疲労を訴えたりすることがあったところ、昭和五三年三月二七日医師により診断を受けたところによれば、慢性肝炎に罹患しており、出血傾向、軽度黄疸、肝機能障害等の症状が現われており、安静加療を要する状態であり、その後の診断でも特に軽快はしておらず、そのうえ、右各診断によれば、同女はHB抗原が陽性であるため、場合によっては肝臓病を起こす原因となるビールスが痰や出血や大便などから家族に感染する可能性も存在している。

4  請求者は性格として勝気な面があり、育児の面では割合しつけも厳しいところがあるのに対し、拘束者は子ぼんのうで子供を甘やかす面もあるが、両名とも被拘束者に対しては深い愛情を抱いている。

以上が認められ(る。)《証拠判断省略》

以上認定した事実によれば、請求者、拘束者双方において被拘束者に対する愛情や養育に対する配慮等に特段の優劣があるものとは認められないし、また住居の状況、経済力、教育環境等においても程度の差こそあれ、子供の幸福を左右する程の決定的な違いがあるものとまでは認められない。しかしながら、双方の監護能力の点についてみると、拘束者の場合は会社に勤務している間、その両親が被拘束者の監護にあたり、しかも右両名はいずれも健康で元気であるのに対し、請求者の場合は、その留守中は春子がその監護にあたるとはいえ、同女は慢性肝炎を患っており、しかもその病気の程度、症状は決して軽いとはいえず、ビールスによる感染の可能性も存在すること等に照らすと、被拘束者と一郎とが不断の監護までは必要としない年令に達していることを斟酌しても、なお春子のみでは被拘束者と一郎の監護に十全を期すことはできないと考えられるし、また、春子に万一のことがあった場合に、同女に代わって長期間被拘束者らを監護することのできる者が見あたらないことを併せ考えると、請求者の側が拘束者の側よりも監護能力の点において優れているものとは到底言えず、むしろ拘束者側の方がより増しであると考えられる。

もっとも、《証拠省略》によれば、請求者の父乙井正吉と春子は一たん協議離婚したが、円満に復縁することとなり、昭和五三年五月一〇日再度結婚届出を了したこと、しかして正吉は、現在は一週間のうち半分くらいは春子方において同居し、今後は被拘束者の監護についてこれを援助していくつもりであると言っていることが認められるが、《証拠省略》によれば、正吉と春子は昭和二一年一二月結婚届出を了した夫婦で、昭和四〇年ころ夫婦関係が破綻し、それ以来別居し離婚訴訟が提起され係争中であったところ、昭和四九年正吉は春子に対し財産分与として金六〇〇〇万円を与えることとして協議離婚が成立したものであることが認められ、これらの事実と、両名の復縁が本件請求ののちしばらくしてにわかになされたものであることを併せ考えると、両名の復縁については果して真意に出たものかどうかは極めて疑問であり、むしろ穿って考えれば、本件請求を請求者に有利な結果に導くため便宜上これをなしたとも考えられるのであって、いずれにせよ前掲疎明のうち、正吉が春子と同居して被拘束者の監護にあたるとの部分はにわかに措信することができないものと言わなければならない。

右のほか、本件拘束に至った動機は夫婦間の争いごとから子供を遠避けるという目的に出たもので、必ずしも不法なものとは断じ難いこと、本件拘束後被拘束者は平穏裏に暮しており、既に周囲の環境にもなじんでいることならびに本件紛争は、あくまでスナックをやることに固執した請求者の側にその責任の多くがあると認められることなどの諸点を併せ考えると、結局のところ、被拘束者が請求者によって監護される方が拘束者によって監護されるよりも被拘束者にとって幸福であるとは言えず、現況ではむしろ拘束者によって監護される方がより増しであると認められる。そうすると、本件における拘束者による被拘束者の監護状況をもって、拘束が違法になされていることが顕著な場合(人身保護規則四条参照)にあたると認めることはできない。

四  以上の次第で、本件請求は理由がないので棄却することとし、人身保護法一六条一項によって被拘束者を拘束者に引渡し、手続費用の負担につき同法一七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荻田健治郎 裁判官 寺崎次郎 近藤壽邦)

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